「舞」と「踊り」の違いって?
もうすぐ「お盆」を迎え、各地で「盆踊り」があります。
(といっても少なくなりましたが・・・)
そこで今回「舞」と「踊り」との違いってなんだろ?と思い少し調べてみました。
私個人の主観などからも一概には言えませんが、
様々な人や学者さんの説によりますと 「舞」は神に対してすること。
水平移動しかしない。
「踊り」は人に対してすること。(これはどうか?)
上下にも動くという違い・・・。
とか 舞の方が水平にまわるというような動きから発したもので踊りというのは跳躍するという事から出来たものであるという事です。
また、舞というのは、心から先に出来上がり、それに動きがついてきたというものであり、踊りの方は、身体が動くところが先で、身体躍動感みたいなものから、始まったという人もおられます。
舞いは基本的に一人からはじまる芸能です。
複数で舞う舞いもありますが、一人で舞うことはまったく自然であり、むしろ基本的なかたちといえます。
しかし、踊りはふつう一人でははじまりません。
複数の人・集団で踊るのが日本の踊りの基本形です。
これは、盆踊りの基本性質ともいえるたいへん重要なポイントです。
お盆はみんなで精霊を迎え、送るわけですから、盆踊りはみんなで参加できる「踊り」である必要があるわけです。
では舞ったり、踊ったりするのはどんな人でしょうか。
舞を舞う人として思い浮かぶのは、巫女のような宗教者や、専業の芸能者のような人たちです。
いわば特別な能力や資格を持った人たち、「プロ」と言っていいかもしれません。
ふつうの村人が舞い手になるような場合も、精進潔斎をしたり、練習を重ねて舞い手としての資格を得るのであって、誰でも舞い手になれるわけではありません。「限られた参加者」といってもいいでしょう。
これに対して、踊りは集団の芸能ですから、たくさんの人に参加してもらう必要があるわけです。盆踊りの場合、この傾向は特に強く、素人でもよそ者でも誰でも参加できる「門戸の広さ」が大きな特徴となっています。
舞のうごきの特徴は「旋回」「回転」です。足を地面に摺るように静かに移動しながら、回転を加えていくといったイメージでしょうか。語源的にも、「マフ」(まう)という言葉は「マハル」(まわる)という言葉と密接な関係が指摘されています。
これに対し、踊りの運動の特徴は「跳躍運動」「上下運動」です。「躍りあがる」という表現は今でもよく使います。各地の盆踊りや念仏踊りでは、飛んだり跳ねたりといった激しい動きを持つものによく出会います。
舞では回転の動きを強調するためにも、手と上半身の動きが重要な意味を持ちます。「手」という点では、扇や鈴のような「採り物」を持つことも多く見られます。ただし、盆踊りでも扇やうちわを持つ例はしばしば見られます。
これに対し、踊りは跳躍運動ですから重要なのは下半身・足のほうです。「おどり」と読ませる漢字「踊」「躍」「跳」は、いずれも足扁の字であることからも、足の動きが重視されていることがわかります。じっさい、いまも各地の盆踊りではしばしば「踊りを覚えるならまず足から」とアドバイスされます。足の動きが重視されていることがわかります。
こうした舞と踊りの特徴は、相互に関連しながら全体としてひとつの宗教民俗的な意味につながっています。
舞は「神迎え」の動作に関係し、
踊りは「神送り」「霊送り(たまおくり)」などの動作となじむものです。
典型的なパターンで考えて見ると、巫女が採り物を手に持ち、優美にゆっくりとまわりながら、次第に神懸かりになっていく、というのが舞いの「神迎え」の姿です。
一方、みんなで活発に踊ったり跳ねたりしながら、さまざまな精霊を共同体の外に送り出す、というのが踊りの「神送り」の姿といえます。
また、かたつむりも別の呼び方で「まいまい」とか「まいまいつぶり」とかいわれています。
なぜ「まいまい」と2回繰り返すのか。これは渦巻きのことで「巻く」などから回転することを「まい」というらしいんです。
「まいもどる」というのも踊りながら戻ってくるのでなく 一回転して元のところに戻ってくることをいうみたいで「おしまい」というのも一回転して終わることを言うみたいです。
このようにいろいろなことを纏めていくと、やはり「舞」とは回転する動作を言い、「舞」はみんなに見てもらうように、心や動きが先にあり、皆の前を一回転することから始まったのかもしれないのではないでしょうか?
そして「踊り」とは多分「音頭とり」からきたのではないでしょうか?それがつまって「おどり」となったのかも知れません。心より先に「音」があり、音楽に合わせ指揮者のように手や足体をリズムに合わせて動かす動きをさすのではないでしょうか?
難しいなぁ・・・
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コメント
お願いです!
お忙しいでしょうが、更新してくださーい!!
でも、「舞う」時が一番トランス状態です。ふっと意識がとんで、周りがパッって一瞬光って、それから体が浮いた感じになって気持ちいい・・・。笛はいつまでたっても息が苦しく、囃子は間違えることを恐れ、周囲を気にして小さくなります。自分なりにお稽古や勉強する中で、「舞が一番すきっ
」と再認識しました

ところで、「木賊」について、何かコメントを!公の場を借り、個人的なお願いをする図々しいヤツでした
投稿: hanako | 2008年9月23日 (火) 22時11分
コメント有難うございます。
私がシテ方だからではなく
そりゃ「舞」が一番楽しいはずです!
決まってるじゃないですか!
なんてったって主役です
お囃子はシテを「囃す」ために存在するのですから
お囃子方も劇(舞台)は作れますが舞台には入れませんもんね(一調などは別ですが)
素囃子などもありますが、舞手がいなければやはり三間四方の舞台はぽっかり穴の開いた無駄な空間に思えます。
その点素謡は舞台でしっかり「劇」を作れます。
今日の六郎師との「井筒」(シテ六郎、ワキ私)でも素晴らしい豊かな世界がそこにはありました。というかあったと思います。
木賊ですか・・・
木賊は難しいですが私は好きです。
子供の衣装を着て酔舞する様は風情的にも演出的にも素晴らしく、「現在物」の「狂女物(男ですが)」としては最高峰でしょう。
私もこの曲と「鞍馬天狗」などは「子」でなく「孫」で是非演じたいなぁと思う曲です。
(私が生きてれば・・・の話ですが)
ただ老女物や長い曲全体に言えることですが
地謡など座って足が痛いと「早く終わって・・・」
といけないことを思います。。。
今回は1時間55分・・・
「木賊」にての子方のセリフ「いや暫く。思う子細の候へば。まず知らぬ由にて御入り候へ」というセリフが憎いです・・・
父と認めれば劇は終わる訳ですから・・・
もちろんこれではストーリーが成立しませんし、
冗談ですが・・・
しかし「梅若本」ではこの子方のセリフがありません!
一説によると「子供が生意気だから」だとか・・・
真偽はわかりませんが・・・
ツレの謡いを子方の謡いの位置に持ってきて物着でツレ「いかに御僧達~」とします。
今回の文蔵師の木賊の風情は素晴らしかったです。
舞の休息で扇を見るところなど
いけないことですが私は見とれてました・・・
投稿: umewaka | 2008年9月24日 (水) 06時03分