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『松竹梅の謂われ』

『松竹梅の謂われ』という

面白い記事がありましたので

一部転載させていただきます。

松竹梅マツ・タケ・ウメは、奈良・平安の昔からめでたいものとされ、正月や慶事の飾りもの、絵画、染物などの美術工芸品、長唄や地唄などの歌舞音曲に取り入れられて、長い間、私たち日本人に親しまれてきました。このことは日本人の心のなかに、自然に向かって深い“つながり”を持とうとする気持ちのあったことを物語っています。

中国ではマツ・タケ・ウメを歳寒三友(さいかんのさんゆう)、高士奇「畫松竹梅于上、日歳寒門(松竹梅の上に描くは、歳寒の門という)」とよんでいますが、この歳寒は論語の「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也(としさむくしてしかるのちしょうはくのしぼむにおくるることをしるなり)」から生まれ、三友もやはり論語の「益者三友(えきしゃさんゆう)」(交わって益のある三友)から生まれたことば。そして、このマツ・タケ・ウメを一画面に描いた絵を“三友図”または“三清図”とよんでいます。歳寒三友という呼称は―風雪や厳寒に耐えながら、一年中みどりをたもつ松の持久力(マツは“持つ”に通じ、長寿命につながるといわれます)、屈することなくすくすく伸びる竹の成長力、春、百花にさきがけて花を開き、ふくよかに香る梅の生命力に捧げる賛辞です。そして、このことばをいかなる困難にも耐えしのぶ志操堅固な人の譬(たと)えにしました。

しかし日本では、門松に代表されるように、年々歳々“慶び”のシンボルとして使われています。いつまでも美しくたくましく、健やかであること―これほど私たちにとって大きな“よろこび”はありません。そのことをひたすら願う心の投影が松竹梅の絵、歌、飾りとなって表れたといえましょう

【門松】 日本には古くから年神(正月の神様で、祖霊神にして穀霊神)を迎えようとする信仰がありました。その媒介をはたすのが門松でした。門松は正月のアクセサリーではなく「神様の依代(よりしろ)」だったのです。平安末期の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には「新年 春くれば 門に松こそ立てりけり松は祝いのものなれば君が命ぞ長からん」という歌詞が見られるように、門松には年頭の祝賀、長寿の意もこめられていました。

【羽衣伝説】 駿河の美保の浦に住む漁師が松の枝にかけてある美しい羽衣を持ちかえろうとすると天女に呼び止められる…という有名な能曲「羽衣」は美しい松林が舞台です。なぜ松の木なのか?その理由は「松は神の天降りを待つ」神聖で、めでたい木とされてたからです。同じような伝説に「衣掛松」「袖取松」が伝えられています。

【相生の松】 能曲「高砂」にでてくる「摂津の住吉の松」と「播磨の高砂の松」のこと。遠く離れていても相生の松という夫婦の松としてお互いに「相老い」るまでと、長寿の象徴とされる松です。結婚式で歌われる有名な「高砂やこの浦舟に~」はこの能をもとにしています。

【鏡板の老松】 能舞台の正面の奥くの羽目板の壁には一本の老松が描かれています。能が老松を背景に演じるようになったのは、かつて奈良春日大社の一の鳥居のところにある影向(ようごう)の松の下で神事芸能が行われていたことに由来しています。ちなみに影向とは御陰、つまり神仏が具体的な形をとって現れることをいいます。松は現世と神仏とを媒介する役割があり鏡板の老松は神事にふさわしい背景といえます。ちなみに、橋懸かりの白州には若松が植えられ、舞台から順に一の松、二の松、三の松といいます。

【千歳の松】 松は神仙思想の地、蓬莱山との関係が深い。古く中国では「松柏の姿は霜を経るもなお茂る」といわれ、常緑の松は不老長寿のめでたいシンボルともされてきました。

【かぐや姫】かぐや姫はなぜ竹から生まれたのか。その背景には「中が空洞なものには神が宿る」という信仰があったからと言われています。また、かぐや姫がわずか三ヵ月で成人し、その美しさに並ぶものはないという素晴らしい成長は、竹の旺盛な成長力とその清楚な美しさが重ね合わされていると解釈され、子どもたちの健やかな成長を願う親の気持の反映ともいえます。

【竹は万代】古くから「松は千歳」「竹は万代」といわれてきました。竹はその強靭な萌芽力、成長力、常緑のすがすがしく力強い姿、そして地下茎の豊かな広がり、なにをとってみても無限の繁栄に繋がるもので、慶祝の儀にふさわしいめでたいものとされています。

【おめでた竹】京都の桑田郡には、小正月のドンドを竹で櫓(やぐら)を組み、それを焼く時の竹のはじける音で生まれてくる赤ちゃんの性別を判断する風習があります。また、栃木県芳賀町延生には地蔵様の出産のお守りに竹の節があるかないかで男女を見ようという風習も残っています。「出産=おめでた」を竹に聞く。家族の繁栄を象徴する竹ならではの習俗といえます。

【梅初月】陰暦の十二月の異名のひとつ。貝原益軒編纂の『大和本草』には「梅花ハ独天下ノ花ニ先ダッテ開ク故、百花魁ト云 花兄トス」とあり、春を告げる花として百花に先んじて咲く梅は、春を待ちわび、開花を愛でる人々の気持ちを一身に集める春の象徴としての花でもありました。

【母なる梅】「梅」の字は「毎」に木偏がついて会意兼形成文字。「毎」は「 (まげ)」に「母」と書き、「豊かな髪を頭にのせた、成熟した女性を描いた」形象文字であり「母親がどんどん子どもを産むことを示す」意味。そのことから「梅」は「毎年のように枝もたわわに実をならせる木」といい、さらには「女性の安産を助け、子孫を繁昌させるめでたい木」とされてきました。

【花は梅】いまでは花といえば「桜」ですが、平安初期までは「梅」のことでした。そのいい例が京都御所の紫宸殿の南庭には「右近の橘」とならんで、「左近の桜」が植えられていますが、遷都当時は「左近の梅」が植えられていました。桜にとって変わられるのは遷都166年後のこと。花と言えば梅。当時の人達は、どの花よりもまっ先に春の訪れを知らせる梅を、めでたいものとして愛し、楽しんでいたようです。

【菅原道真と飛梅】道真は、宇多・醍醐の両朝に仕えた当代随一の漢学者。儒官として異例の昇進を重ね右大臣までのぼりつめますが、藤原氏などの謗(そしり)によって大宰権帥に左遷される。そして遠く筑紫へ下る時、家の梅を見て「こち吹かば匂いおこせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ」と歌い、その梅の一枝は、一夜のうちに天駆けて道真のいる大宰府まで飛んできたと伝わっています。大宰府の梅は「菅公の飛梅」としていまも香しい花を咲かせ、多くの参拝者たちの目を楽しませています。

松のところに【鏡板の老松】の記事がありましたが、

能舞台には「松」「竹」は描いてありますが、基本的に「梅」はございません。

(しかし少数ですが描かれているところもあります)

これは「花」は「役者」であり、「花」を描く必要がないとも言われています。

梅若がいるだけで「梅の花」といえば「花」ですが・・・

「名前」だけでなく「花」のある役者になりたいと心から願いたく存じます。

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